あるいは、、、
季節の良い時に、夫の実家で、ちまちま骨董品探し。
今は、本でいうなら目次をざっと見て内容を知っているる程度。
一章一章、目を通してじっくり向き合うのも趣きがあるだろう移民公司。
だが、今はそんな気にならない。
歳がいって、老境に達したらそうしよう、、、と代々の人たちも、そう思いつつも、誰もせずに、この世を去っている。
口頭のみの、言い伝え。
わたしも、そうなる可能性は大いにある。
足腰が動かなくなっても出来そうな趣味だが、実際に動けなくなると気力もなくなるだろう。
それを見越して(かどうか意識はないが)、目についたお気に入り骨董品は、ちゃっかり自宅に持ち帰って、時々、手に取ったり、愛おしく見ている。
それは、骨董品に限らないが。
体が動かなくなったら、精神もダウンするだろう移民香港。
体が動いている今、体が動かなくなった時のシュミレーションをしてみても、精神的にも元気な今の想像では、お門違い、見当はずれの予想になるだろう。
趣味や余暇は、きっちり細かく予想できないとしても、住まいは大まかに枠として決めておきたい。
器が決まると、入る中身も決まる。
しかし、海の見える場所がいい、とか、そんな希望は特にない。
自然に囲まれて育ったから、のびやかな、おおらかに過ごせるところがいいけれど。
逆の場合もある。
中身に応じて、器を決める。
しかし、この歳になると、中身は減少する一方。
濃度が高まり、カサが減る。
だとすると、器は大きくなくてもいい。
だが、小さな器は狭苦しい。
余裕がほしい。
自分を放牧したい。
認知症が進むと、放牧もままならず、外から鍵をかけられるのだろうが。
あれこれ、半歩先の自分を想像して、進路を選びたい。
ヨレヨレの自立出来ない自分を想像して進路を選ぶとしたら、介護付き老人ホームに決まっている日本移居。
それは、楽しくない想像だが、まあ、避けて通れないので、行き先コースの通過点の1つである。
季節の良い時に、夫の実家で、ちまちま骨董品探し。
今は、本でいうなら目次をざっと見て内容を知っているる程度。
一章一章、目を通してじっくり向き合うのも趣きがあるだろう移民公司。
だが、今はそんな気にならない。
歳がいって、老境に達したらそうしよう、、、と代々の人たちも、そう思いつつも、誰もせずに、この世を去っている。
口頭のみの、言い伝え。
わたしも、そうなる可能性は大いにある。
足腰が動かなくなっても出来そうな趣味だが、実際に動けなくなると気力もなくなるだろう。
それを見越して(かどうか意識はないが)、目についたお気に入り骨董品は、ちゃっかり自宅に持ち帰って、時々、手に取ったり、愛おしく見ている。
それは、骨董品に限らないが。
体が動かなくなったら、精神もダウンするだろう移民香港。
体が動いている今、体が動かなくなった時のシュミレーションをしてみても、精神的にも元気な今の想像では、お門違い、見当はずれの予想になるだろう。
趣味や余暇は、きっちり細かく予想できないとしても、住まいは大まかに枠として決めておきたい。
器が決まると、入る中身も決まる。
しかし、海の見える場所がいい、とか、そんな希望は特にない。
自然に囲まれて育ったから、のびやかな、おおらかに過ごせるところがいいけれど。
逆の場合もある。
中身に応じて、器を決める。
しかし、この歳になると、中身は減少する一方。
濃度が高まり、カサが減る。
だとすると、器は大きくなくてもいい。
だが、小さな器は狭苦しい。
余裕がほしい。
自分を放牧したい。
認知症が進むと、放牧もままならず、外から鍵をかけられるのだろうが。
あれこれ、半歩先の自分を想像して、進路を選びたい。
ヨレヨレの自立出来ない自分を想像して進路を選ぶとしたら、介護付き老人ホームに決まっている日本移居。
それは、楽しくない想像だが、まあ、避けて通れないので、行き先コースの通過点の1つである。