何度書いても「ン」が「ソ」になる。
そうじゃない、って。
ばあちゃんは(わたし)「ン」と「ソ」の違いを説明する。
正方形を上下左右4つ並べて四マスを作り、その中にどう収まるか書いてみる倫敦樓盤。
「ソ」は、細長い。
「ン」は、横幅が広い。
2画目は、上から下に向かって下すか、下から上に向かって跳ね上げるか。
一生懸命、真面目に丁寧に説明した。
小1孫、全然聞いてない。
あいかわらず同じ字を書いては消し書いては消しして、プリントは、しわくちゃ英國二手物業。
ゴシゴシ消しゴムで力任せに消す。
そんなに何度も同じところを消すと破れるよ、と、わたし。
「ん、わかった」
と言うものの、やっぱり同じ間違いを繰り返す。
「ソとンは、似てるから難しいね」と、わたしがサジを投げる英國樓。
いい加減な無責任家庭教師だ。
「ム」がわからない、と言う。
ム、、、ム、ねえ、、、
なんか良いヒントはなかろうか。
思いつかない。
教えてしまうのは実に簡単だ。
しかし、答を教えては勉強にならない。
考えさせないと。
何か良い案はないかと、それまで読んでいた情報誌をパラパラめくる。
どうしたものかと適当に考えていると、たまたま「ム」が入ったタイトルを目にした。
「ここ、『ム』って入ってるよ」
と、なんのことはない、ヒントどころか答を示しているのと全く同じ。
頭を使わないばあちゃんである。
2枚目は、算数。
定規が要ると言う。
時計の絵が描いてあって、今何時か、かっこの中に書く問題と、何時何分を時計盤に描く問題。
引き出しから、娘が就学前、幼稚園で貰ったピカピカの(新古品)定規を出してくる。
役に立つ時を迎えるのは、なんと30年以上も後!
ちなみに同じ場所に、わたしの小学生の時の木の定規も入っている。
拙い字で自分の旧姓フルネームを裏に書き込んである。
物持ち、良すぎ。
そうじゃない、って。
ばあちゃんは(わたし)「ン」と「ソ」の違いを説明する。
正方形を上下左右4つ並べて四マスを作り、その中にどう収まるか書いてみる倫敦樓盤。
「ソ」は、細長い。
「ン」は、横幅が広い。
2画目は、上から下に向かって下すか、下から上に向かって跳ね上げるか。
一生懸命、真面目に丁寧に説明した。
小1孫、全然聞いてない。
あいかわらず同じ字を書いては消し書いては消しして、プリントは、しわくちゃ英國二手物業。
ゴシゴシ消しゴムで力任せに消す。
そんなに何度も同じところを消すと破れるよ、と、わたし。
「ん、わかった」
と言うものの、やっぱり同じ間違いを繰り返す。
「ソとンは、似てるから難しいね」と、わたしがサジを投げる英國樓。
いい加減な無責任家庭教師だ。
「ム」がわからない、と言う。
ム、、、ム、ねえ、、、
なんか良いヒントはなかろうか。
思いつかない。
教えてしまうのは実に簡単だ。
しかし、答を教えては勉強にならない。
考えさせないと。
何か良い案はないかと、それまで読んでいた情報誌をパラパラめくる。
どうしたものかと適当に考えていると、たまたま「ム」が入ったタイトルを目にした。
「ここ、『ム』って入ってるよ」
と、なんのことはない、ヒントどころか答を示しているのと全く同じ。
頭を使わないばあちゃんである。
2枚目は、算数。
定規が要ると言う。
時計の絵が描いてあって、今何時か、かっこの中に書く問題と、何時何分を時計盤に描く問題。
引き出しから、娘が就学前、幼稚園で貰ったピカピカの(新古品)定規を出してくる。
役に立つ時を迎えるのは、なんと30年以上も後!
ちなみに同じ場所に、わたしの小学生の時の木の定規も入っている。
拙い字で自分の旧姓フルネームを裏に書き込んである。
物持ち、良すぎ。